安全な食文化と北海道の写真


7月27日

2014年07月28日 01:56

本日無事、中国から東京に帰国。

今回の出張は長かった。

17日からの移動で福建省の廈門に入り現地入23日まで仕事をし、山東省の青島に移動し本日帰国した。

明日から東京都内での仕事がある。廈門は連日猛暑で、工場指導が深夜まで続いた状況だった。結果的に僕の指導範囲はうまくいった。

日本側チームと工場スタッフとのチームワークがとても重要で、皆必死だった。

今回の仕事の需要な事は、こちら側の熱意と気持ちを受手の現地スタッフにどう伝えるかということであった。

その連携と協力体制が高く評価される結果となり、皆の労が報われた。

僕自身、最終日の報告は中国語で作成し、下手くそな中国語で説明をしたが、発音が悪くても、現地スタッフは皆しっかり僕の話しを理解しようと真剣に聞いてくれた。

日本では輸入食材の問題で、大騒ぎになっている状況の話題は聞いていたが、あまり深く知ろうとは思わなかった。

帰国し今日、成田のホテルのテレビニュースで輸入食材の安全性について特集がやっていて、詳しい状況を知った。

コメンテーターの話しの論点は終始、とても解決できそうにないテーマを引き出し、食の不安を更に煽る事にあるようで、専門家というのも嘘っぱちばかり言っている。食の安全性をどう確保するかというのは、意外と単純なテーマで、食べる人の気持ちになって食品をつくる、という事以外にない。

それは単純ではあるが、なかなか難しい。管理の主導側がしっかりとそのことを根気よく伝えて行く以外にないのである。

その中から出て来る記録というものの意味も大きく異なる。:

それを現状の食流は小難しい仕組みや複雑な管理システムのボリュームを増やして日常管理の実体を見えにくくしてしまっている。

そういう仕組みの中では本質的な食品の安全性というのは主体性を見失ってしまう。管理の形骸化を招き本来の目的がなんなのかをわかりにくくしてしまっているところがある。そういうことでは駄目なのだと思う。

不器用でも必死になって安全性を満たす熱意を相手に伝えられるかどうか、工場が大きくなればなるほど、それが必要なのだと思う。

裏を返せば、そうしてないから明るみになった問題ともいえる。

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