安全な食文化と北海道の写真


2013年3月の日記


 

芝浜 2013/3/16

芝浜という演目はいろいろな落語家が噺をしています。
志ん朝の「芝浜」を聴いてみた。
はじめて聴いてみて、すぐにこの噺に引込まれました。
一度聞き終わって、すぐにまたもう一度聴いてみたくなる。
そうして何度も繰り返し聴きかえしていると、毎度変わった印象にきこえる。
最初、この噺は江戸時代の庶民の地道に働くということの尊さを伝えている噺に思えました。
しかし、何度か聴いているうちに、この噺はいろんな見方ができると思うようになりました。
 
本来目利きの良い魚屋のクマ、酒好きが災いし、商売がうまくいかなくなって借金がかさんでいる。
ある朝、女房に叩き起こされ仕事に行って稼いでほしいと芝の魚市場に魚を仕入れにいく。
ところが芝の浜で朝陽をみていると気持ちよくなり眠てしまう。うとうと寝込んでしまって目を覚ますと
紐が足にひっかかっていてそれをたぐり寄せると五十両の入った皮の財布だった。
思いがけず大金を拾ったクマは魚売りをやめて、すぐに家に戻って女房に拾った財布のことを伝える。
クマはこれでいろいろ贅沢に遊んでいい想いが出来ると浮かれていた。
 
そして「今日はめでてえことがあったから、、」と湯に行った帰りに友達をたくさん連れてきて酒や肴を振る舞い朝まで飲み明かすクマ、、。
しかし、そんな旦那の様子を女房は不安に思う。
「ああ、良い心持ちになったさっきは、、心置きなく飲めるってのはいいもんだ、、、」
友達と酒を飲んですっかりいい気持ちになって酔いつぶれて目を覚ましたクマに女房が聞きただす。
 
女房「ただね、、あたしさっきから聞こうと思ってたんだけどさ、みんなでもってメデタイ、メデタイて飲んでたんだけど、なんか、メデタイこと、あるの?」
クマ「あるじゃねえか、、」
女房「なにが?」
クマ「何がってトボケるんじゃないよ、あれだよ、、」
女房「あ、そう、、ま、メデタイことがあるのは結構だけどさ、あの取ったものの払いはどうすんの?」
クマ「あれか、あれはあの中から払っておけばいいじゃねえか、」
女房「何の中から?」
クマ「何の中って、おまえ、あれだよ」
女房「え?さっきからお前さんアレ、アレっていうけど何なの?」
クマ「今朝おめえに渡したじゃねえかよ!皮の財布をよ」
女房「皮の財布?」
クマ「そうだよ50両渡したじゃねえかよ、バカだな、、」
女房「50両?お前さん私に渡した?知らないよ私は、、」
 
こうして女房は旦那が拾った財布の50両を知らないとシラを切り、それが夢でみた寝ぼけ話しだとクマを追い込みます。
女房「お前さん、夢でも見たね、」
クマ「夢?夢かなありゃ」
女房「夢じゃないか!夢だよ、お酒ばかり飲んでいるからそいうことになっちゃうの、頭がおかしくなったんだよ、しょうがないねえ、お金を拾ったって、何をいってんだい!普段から商売もしないでお金がほしい、お金が使いたいってそんなことばかり考えているからそんな夢をみちゃうの、、情けないねえ、、」
 
クマは夢でみた幻で、またつまらない借金をつくってしまい、女房にまた苦労させてしまう自分を心底情けなく思い、目を覚まします。それから女房に心を入れ替えて懸命に働くと誓う。
3年間、心を入れ替えてお客さんのために懸命に働き、信用もついて商売も良くなり借金も無くなました。
そして穏やかで心が落ち着く年越しを迎えます。
 
そんな大晦日の夜、女房から見せたいものがあると、押し入れから皮の財布を見せられます。
その財布を見せた女房から、ほんとうの思いを聞きます。
「こんな大金を贅沢や遊興に散財したらすぐになくなる、、そうしたら周りは黙っちゃいない、
拾ったお金をお上に届けず使ってしまったら厳しいおとがめをうける、そうなったらもうアンタはまともな生活はできなくなる。
そう思ったからと思うと怖くなり、あたしは拾った財布をお上に届けた、、1年後お上から持ち主が現れないからと下がってきたけど、アンタはようやく懸命に商売をして懸命に稼いでくれている、だから見せられなかった。」
 
そんな女房の想いを知り、女房に深い感謝をする。
「よく騙してくれた、ありがとう、本当にありがてえ、ありがてえ、(泣き)」
 
落ちの話しーーー
女房の真意を知り、お互いのことを理解した大晦日の夜、
 
女房「・・はあ、胸のつかえがとれた、、おまさん、どう?一杯やらないかい」
クマ「なんだ一杯て」
女房「お酒だよ」
クマ「だっておめえ、俺はやめて断ってんじゃねえか、おめえに約束、、」
女房「いいよ、お前さんは前のお前さんじゃない、お酒に飲まれる人じゃない、今日は大晦日じゃないか、明日お正月、、
商売休みじゃないか、一杯おやりよ、」
クマ「そ、そうか、でも、もう酒屋やしまっているじゃねえか、」
女房「お前さんに一杯飲んでもらおうと買っといたんだよ」
クマ「そそうか、じゃあ一杯もらおう、いやー嬉しいね!」

そうしてクマが酒を口元に運んで、ぐっとやろうとして、ふと口元の杯を止めます。
クマ「・・・よそう」
女房「え?」
クマ「俺、、飲むのよすよ」
女房「どうしてさ?!」
クマ「また夢になるといけねえ」
 
「また夢になるといけねえ、、」といったクマは酒に飲まれた過去の自分から完全に抜け出して生まれ変わったことを表現しています。
この噺は日本人のもつ「お金」に対する本質的な価値観を言っているようにも感じました。
そして、クマの性格の良さ、弱さをしっかり理解し可能性を生かし見事にコントロールして働き者のまじめな商売人に変えた女房の力はすごい。
同時に酒に溺れるクマに人間の脆さや危うさも感じるけれど、懸命に人のために働くことで、そんな脆さを克服できる逞しさもある。
そして、人間にとって生きる目的や幸せとは、質素で贅沢はしなくても、そういう中にあるんじゃないか、と感じました。聴く者にいろんな意味を教えてくれる、そんな素晴らしい古典落語の名作だと思いました。

 

「百年目」2013/03/15
古今亭志ん朝の落語で「百年目」という話しを聞いていました。
弟子達にとても厳しく、お店のなかで煙たがられている大番頭、
仕事は確実でお店の帳簿もきっちり管理できる番頭に信頼をよせているけれど、遊びもしらない堅物で人間の幅に余裕のない大番頭に不安を感じている親方、、
ところがある日、芸者達と花見で賑やかに遊んでいる大番頭と遭遇。
大番頭は花見で芸者遊びに興じる自分を親方にみられてしまい、大変な失態をしてしまったと自分を苛む。
あまりにもショックで、お店の弟子達にも合わす顔が無いと、一人うつになってしまう。
 
大番頭の憂鬱とは別に、親方は遊びもしらない大番頭に経営者としての資質に不安を感じていたから、
花見で芸者たちと賑やかに遊ぶ大番頭の一面を知り、むしろ喜んでいた。
そして親方は大番頭が自分のそんな一面を後ろめたく思って悩んでいることにも気がついていた。
そんな親方の優しさや経営者としてのしっかりとした人をみるちから、人間の深さも、
志ん朝の話芸はわかりやすく表現している。
 
「ナンエン草がしおれてしまっては栴檀(せんだん)は枯れてしまう。。」
 
そうやって親方は大番頭を励まします。
 
落ちの段ーーーー
 
親方「ところで聞きたい事があるんだ、、」
番頭「なんでございましょう、、(半泣き)」
親方「昨日ばったり出くわしたときにね、、おまえさん私に妙なことを言ったね、、
”お久しゅうございます、長らくご無沙汰しております、ご壮健でなによりでございます、、”
て言ったけれど、朝晩同じ所に居て始終顔を合わせているのに、あの挨拶はおかしいと思うが、
なんでお前さんあんなこと言ったんだい?。」
 
番頭「はい(半泣き)、硬い硬いと思われてました番頭が、旦那様に出くわして、
ああ、これはもう百年目だと思いました」
 
これはどういう意味なのかわかりませんでしたが、
遊びほうける自分の姿を親方に見られてしまった事が番頭にとっては運のつき、、ほどの一大事に
思ってしまった。
そんな番頭の思いとは大きく違う親方の思いが滑稽なほど違うことも面白いですが、
現在の組織においても大事なことを伝えているように思いました。

 

古典落語の面白さ

2013/03/12

車での移動時間の長い僕にとり、新しくiPhoneに入れた落語を聴きながら走るのは楽しみになってしまった。
特に桂文珍、立川志の輔、古今亭志ん朝、桂米朝、桂枝雀の古典落語がとても好きで、シリーズを順番に入れている。
いつの間にか音楽CDよりも落語のアルバムが多くなりました。
落語の噺は落語家によって雰囲気が変わるので何度聞いてもあきがこない。
「宿屋仇」という噺は文珍さんと師匠の米朝さんも噺をしているのですが、同じ題目でも登場する人物の雰囲気が随分違う。

間せまでも良いから静かに泊まりたい旅の侍、侍と賑やかな客の接客をする宿屋の仇(いはち)、
そして侍の部屋の隣に入った始終三人の旅人、
文珍さんの侍と米朝さんの侍では雰囲気が随分と違います。
それが最後の落ちの部分、朝、イハチが出会い敵になる三人の客を捕らえて侍に報告したところ

侍(米朝)「なははは、いはち許せ、あれは嘘じゃ、、ああ申さば夜通し寝かしよらんわい」
侍(文珍)「はははははー、、いはち許せあれは嘘じゃ、、ああいわぬと、また寝られぬところじゃわい」

と味わいが随分と違う。米朝の侍は老成した知恵の深い人物という印象ですが、
文珍さんの侍はユーモラスで明るい人物に感じます。

落語は噺家の話芸でその噺の世界にどんどん引込まれます。
そして頭の中にその様子が広がります。
時に食べ物の味や、外の様子が生々しく想像できる。
映画やテレビの映像を見るよりも現実味を感じることができます。
それが優れた話芸ということなのだと思います。
そんな日本の優れた伝統芸能を楽しむことができるのは、日本人として幸せなことなんだと感じるようになりました。


 

病気から健康を学ぶ

2013年03月01日 07:29
 学校を出て就職した会社で配属された部署に水産試験場の元場長だった人が嘱託で入ってきた。
あの当時その人は60代半ばくらいだったから今はもう80歳の高齢になっているだろう。
僕は学校を出たばかりの新人で、その方を○○先生と呼んでいた。
先生はこの歳まで自分の歯すべて自前だということをいつも自慢げに僕に語っていた。
あるとき、昼休み食事を終えて自分のデスクにもどると先生は僕に話しかけてきた。
「君、今いくつだっけ、、」
「24歳です」
「若いなあ、、これからまだまだ長いなあ、、病気しないよう気をつけなきゃ、」
僕はいつもの説教じみた話かと聞き流した。
でも、今この歳になってあのときの先生の小言が重く感じるようになった。
当たり前に健康で長く働くということは、なかなか難しいもので若いうちから悪い食や生活習慣をしっかり自制し
生活していかなければならない、そうやっていかなければ何事もできなくなる、、
先生の雑談はそんなメッセージだったのだろうなと感じました。
確かに、そのとおりでようやくこの歳になり実感させられている。
40代になるまで、病気などというものは自分とは無縁だと思って生きてきました。
しかし、中国に赴任したあたりからインフルエンザにかかってひと月近く喘息で苦しんだり、
駐在中仕事のストレスで体調を崩したり、病気というものの影をはっきりと自覚しました。
同時に、若くはない自分を漠然と感じるようになりました。
昨年秋の健康診断で、腎臓に腫れがあり詳しく泌尿器科の専門医に見てもらうべきだと診断されました。
その何ヶ月か前から左の背中に重い鈍痛が四六時中続いていたけれど、多分肩のコリと似たようなものだくらいにしか思っていなかったから、我慢しながら仕事をしていた。
でも、健康診断の結果から鈍痛が単なるコリではないのだと不安に感じ、専門医で受診しました。
そして詳しい検査の結果、医師からはすぐに入院すべきだと告げられました。
その時、はじめて病気というものが自分の生活や仕事を奪いかねないという現実を理解できました。
左の腎臓の尿管に大きな結石が複数溜まっていて排尿を遮っている。
それで腎臓が腫れていて、放っておくと腎機能がどんどん低下しやがて最悪腎不全になるという。
 
でも入院し手術し治療すべきだと言う医師のアドバイスに僕は素直に「はいわかりました」とは言えませんでした。
「3ヶ月も入院したら、いまかかえている自分の仕事が継続しなってしまう。」
そういう思いが事態の深刻さを遮りました。
しかし、そんな僕を見かねた看護師が少し厳しい口調で、
「いまきちんと治療しないと、あなた一生腎臓障害をかかえることになりますよ」
看護師のこの言葉は自分がいまかかえている病気の深刻さを実感させてくれました。
当初医師からは3ヶ月の入院が必要と告げられましたが、それは現実難しいので翌日から入院し手術を受けて
後は外来で治療を続けることにしました。
尿管を塞いでしまうくらいに溜まった無数の結石の影をレントゲン写真でみたとき、自分の身体の悲鳴を見たようでした。
4日間の入院で腎臓から尿管にカテーテルを通す手術をし退院後は超音波で尿管に溜まった結石を砕く施術(これも医療的には手術)を週に一度通院しながらやるようにしました。そうして2ヶ月が経ち、10日ほど前に昨年手術で入れてた腎臓と尿管にカテーテルを取り出す手術を受けました。
その翌日から2〜3日のうちに今まで超音波で細かく砕いた結石がすべて排出されました。
4日前、経過確認のためにCTやレントゲン検査を受けた所、ようやくすべての結石が排出され腎臓の機能も通常レベルに戻っていると医師から説明を受けました。そして医師からはあらためて
「良かったですね、でも腎臓は大事にしなきゃならないよ悪くすると元に戻らないから、、あなたは体質的に結石ができやすいから食生活や生活習慣を見直してください」
重い言葉でした。僕は改めて医師の先生に
「本当にありがとうございました。自分の身体の事をよく学ぶことができました」とお礼を言いました。
入院し、相部屋におられた患者の皆さんからもいろんなことを教えてもらいました。
 
思えば、昨年入院し辛い手術を受け、いろんな病気をもっている方達と話ができ、
計算された病院食を食べ、四六時中親身に看護してくれる医療現場の方達と接し、治療に通い、
そのことは自分の身体のことを学ぶとても貴重な経験でした。
腫れた自分の腎臓の影と無数に溜まった結石の影をみなければ、あのまま若いつもりで我慢をして無理を続けてたらたぶん自分は今年仕事が出来ない身体になっていた。そう思うと背筋が冷たくなります。
健康で若いうちは何も考えられない、、10年後、自分はこういう病を煩うかもしれないからとビクビクしながら生活することはできない。
でも、ある時期にきたら、自分の身体の健康と脆さは紙一重であることを理解する時期が必要なんだと感じました。
 

 

老らく風呂
2013年02月25日 15:53
桂文珍さんの落語が面白いと母がいうので、文珍さんのシリーズになってるCDをiTunesに取り込んで母にわたしたiPhoneに入れて聴かせています。
 
病院に見舞いにいくと母はいつもiPhoneにヘッドフォンをつけ、何を聴いているのかと尋ねると「文珍さんの落語を聴いている」と言います。
母もiPhoneの操作のし易さも手伝って、iPhoneで落語を聴くのがすっかり気に入ったみたいで良かったです。
それにしても、二度目に緊急で母が病院に担ぎ込まれた日の夜、個室に入れられた母に付き添っていたときに、母がか細い声でうつろな目をしてこんなことを言いました。
 
「めいわくばかりかけて、、すまないね、、年取るとろくなことないわ、、」
昔から世話付きで責任感が強い母のことだから、自分のことで他人の世話になっている自分に負い目を感じているようでした。
そんなことを言う母がなんとも可哀想で、こんなことを言わせたらいけないと思いました。
「そんなこと言わないでくれ、、ちゃんとここで療養して元気になったらそれでいいじゃないか、」
でも、その言葉がずっと頭に残っていて、夜ベッドで寝床につくと、ぼんやりと母の言葉が老いた表情とともに頭のなかに浮かびます。
老いるということで身体があちこち煩って来る、、それは誰でも同じ、
若くたって同じで、人間なんて所詮健康の綱わたりをしているようなもの。
ふと、老いたら他人の迷惑になるなんて、なんでそんなこと考えさせなければならないのか。
そんなことをあれこれ考えてしまいます。
老いは人間の宿命でどうしたって避けられない。
でも世の中、エージングとかいって、見た目も体力もいつまでも若くいることが美徳とされているようなところがある。
そりゃ自分だって老いる事はまだ覚悟がない、、明日急に老人になれといわれてもとても耐えらそうにない。
でも、後ろを押されている一方通行の道を行くみたいに避けられない将来。。
老いる、、ということがこの時代、人間にとってどういうことなのか、
そんなことをうつらうつらと考えるようになりました。
そんなとき、先日母に聴かせようと入れた文珍さんの落語で「老らく風呂」という話がありました。
 
文珍さんの話しに登場する老人というのは実に楽しく面白いのですが、
特にこの老らく風呂に出て来る考える人の像と勘違いされる老人、、50代の働き盛りの悩める中年男性に老いる、、
ということを教えている話です。
「ええか、ぼーっとしてもなはれ、、ぼーっとな、、リキんだらあかん」
この話に出て来る老人は、
「老いは楽しいもんや、、楽しいで」そう中年男性に語りかけます。
このやり取りの文珍さんの話芸はすばらしい。老いがはじまる自分に悩める中年の男と老いを楽しむ老人を見事に表現している。
何より、この話、ただ老いるということを面白おかしくしているのではなく、老いを楽しむということができるのは人間にしかできないこと。
 
山あり谷ありの道を頑張ってきた、、そして平たんな道で疲れて歩く、、いつか終着がくるその日まで
今まで来た道を振り返り、少し周囲の景色を楽しみながらゆっくり歩けば良い。
のんびり、ぼーっと歩いてみるのも楽しい旅なんだ。そんな話です。
 
だから、今病気で療養している母にもそんなふうに思ってほしい。
病気に負けて命を縮めるのは勘弁してほしいですが、病気とむきあって、少しでもよくなるよう必要な治療も楽しんで向き合ってほしい。
楽しむことが、今の母には必要な治療なんだと思いました。
母が楽しんで自分の病気と向き合って安心して療養できるようにすることが、僕ら子供の責任。
 
今朝そんなメールを母に送った。